2008年08月15日

読書しりとり75(戊寅)『春琴抄』

『春琴抄』谷崎潤一郎

★★★★★★★★★★

戊寅は「つちのえとら」または「ぼいん」と読みます。
もしも明治維新が10年ほど遅れていたら、
日本史の教科書に「ボイン戦争」の名が刻まれていたわけです。
先達の仕事の速さに感謝するべき?残念がるべき?

『春琴抄』は、その内容よりも形式が有名ですというのも読みづらい
んですなぜ読みづらいかというと句読点が入るべきところ
で入っていなかったり一つの文が非常に長くなっていたりす
るからですそういうのって読む意欲なくしそうですよねしか
し読んでみてわかったんですこれはなるほどただの実験ではな
いんじゃないか、いや非常に高度な試みであるとそしてそれは
成功だったといえるんじゃないかと思うのです理由はあとで書き
ますのでお楽しみにしていてくださいじゃーいきますよしゅんきん
とうだよしゅんきんとうだよみんなだいすきしゅんきんとうだよー



墓参りのシーンから。
「鵙屋春琴伝」という小冊子を入手したある男が、
その伝記の主人公である「鵙屋琴(=春琴)」の墓を参りにきた。
鵙屋家の墓はいくつかまとまった場所に「集落」のように存在する。
しかし、春琴の墓はぽつんと離れた場所にあり、
この墓を参る親戚もほとんどいないという。

そして、男はこの春琴伝を紐解くように紹介し、
春琴の人生を我々に聞かせてくれるんです。

じゃあ、春琴伝そのものが春琴抄でいいじゃねーか!
この男は誰なんだ?必要なのか?
とお思いでしょう。私もそう思いました。
しかし、おそらくもっと長い春琴伝をうまくピックアップ・編集し、し、
春琴伝の「タテマエ」により失われた歴史を
後半で、女の証言を引き出して補完するという役割も果たします。
とてもよく出来た男、いや、よく出来た小説なのです。


では、あらすじを簡単にした代わりに、
究極の引用を行います。用意はいいですか?
ここでは紙面の都合上、改行をいたしますが、
これが「一文」であることの威力を感じていただきたい。

 しかし佐助はその暗闇を少しも不便に感じなかった盲目の
 人は常にこう云う闇の中にいるこいさんも亦此の闇の中で
 三味線を弾きなさるのだと思うと、自分も同じ暗闇世界に
 身を置くことが此の上もなく楽しかった後に公然と稽古す
 ることを許可されてからもこいさんと同じにしなければ済
 まないと云って楽器を手にする時は眼をつぶるのが癖であ
 ったつまり眼明きでありながら盲目の春琴と同じ苦難を嘗
 めようとし、盲人の不自由な境涯を出来るだけ体験しよう
 として時には盲人を羨むの如くであった彼が後年ほんとう
 の盲人になったのは実に少年時代からのそういう心がけが
 影響しているので、思えば偶然でないのである

うっとおしいくらい長いでしょう。
しかしこれが最も長い一文、ってわけじゃはないですよ。
他にももっと長い文がありますし、この文が終わったあとも
改行は行われず、またすぐ次の長文が始まるのです!

では、なぜこの一文を選んだのでしょうか?
これは墓参りの後、「春琴伝」の始めのほうで紹介される
全てに先立って語られているエピソードなのですが、
クライマックスや登場人物の性格まで示唆する
とても重要な一文だからです。だから究極の引用なのです。

この文を読むだけでもある程度推測できることですが一応書いておくと、
主人公の春琴は幼少の病気の所為で盲目です。
佐助もほぼ主人公で、春琴のお付をしている人(弟子)です。
年は佐助の方が上なんですけどね。
お付は他にもいろいろいたんだけど、春琴が
「誰よりもおとなしゅうていらんこと云えへんよって」
「佐助どんにしてほしい」と望んだから、固定されたわけです。

さて、佐助は「後年ほんとうの盲人になった」とありますが、
なぜ盲人になったのでしょうか。これがこの本の最重要ポイント。
そして、「いかにして」盲目になったのか。
これがすごくて、手元の文庫では64頁にありますが、
テレビで柔道選手が骨折するシーンを見るような
足の小指をタンスの角にぶつける母を見るような
生々しい痛々しさが活字で味わえます。まさに、字が活きてるのです。


ところで盲目といえば三味線・按摩というのはお決まりですが、
按摩に関しては現代もその仕事がある程度管理されていて、
マッサージ師のうち、盲人の仕事量が確保されてる?らしい。
ちょっと問題もありましたけど、良い制度だと思っています。
「規制」の良い使い方ですよね。don't 緩和 it!

とある合唱サークルに、盲人の女性がいるのですが、
とても歌が上手です。
彼女も小さい頃から眼が見えなくなったそうなんですが、
絶対音感を持ち、他人のハモリのズレを聞き分けられる
優れた美的感覚も備わったシンガーなのです。

生まれつきの盲人も多くいらっしゃいますが、
彼ら、彼女たちに対して、特別に高度な音楽教育を行う
活動というのがあるべきだと思うのです。
眼が見えないということは、他の感覚が研ぎ澄まされるはず。
ハンデがそのままアドバンテージにつながり得るわけで、
プロの音楽家になるか否かは関係なく、
音楽の喜びを健常者よりも多く享受できれば、
それは本当に幸せなことだと思います。

草野球の相手に、元甲子園球児がいたときに感じるような
「うひょーやっぱ違うねー」と圧倒される気持ち、
これが盲人の音楽パワーにおいても感じられたら素敵です。
「音楽で食いたいけど盲人には勝てないよなあ!」
ってのが当たり前のレベルになればいい。
音楽で食う(食おうとする)ことが簡単になりすぎてると思うんです。
というわけで今のうちからギターを練習して、
そーいうNPO(んぽ)とか参加できたらいいです。誰か作って。


脱線3しましたが、表現について。
この『春琴抄』は
句読点も少なく、改行・段落が全く無いにも関わらず、
どういうわけか、わりと読みやすいのです。
なぜかというと、因果関係が明確、つまり
その事実と事実の結びつきが丁寧に説明されているのです。
ここの「説明がほしい」という場合には必ず説明があり、
読み返す煩わしさが無いように配慮されています。

目的意識を読者と共有できる書き方・進め方は、
読みやすい文章のコツの一つだ、と誰かが言ってました。
読者が「ある方向への期待」を持つように仕向けて、
実際にその方向へ書き進めていくような文章です。
たとえそのスタイルが読みづらくてもです。

どんな文章講座・小説家入門のような本にも書かれていない
とても大事なエッセンスが春琴抄にはあります。
どう読ませるかをトータルで見た上で、
なにが「ムダ」でなにが「ムダでない」のかをクリアにし、
ムダな部分は奥村愛子のようにいっさいがっさい削るのです。
あれも伝えたい、これも伝えたい、ではなく、
ある純粋な「伝えたいカタマリ」をソーっとスーっと
読み手にそのまま送り届けることだけを頭に浮かべる。

高価な壷であれば割れないように慎重に送り届けるでしょう
盛んにあばれるチワワであれば、体をガッチリとつかんで
ちからずくで送り届けるでしょう。
伝える内容に適した伝え方を選び、余計なことはしないのです。

この読書しりとりは
1.どんな本だったか、あとでありありと思い出す
2.このとき自分がどんな考え方をしたか
3.伝わる文章を書く練習
という3大目的があるのですが、
相反するんですよね。1&2と3が。
思ったことは出来るだけ書いとこう、とこうして長くなるのですが、
今後はポイントをしぼって、短く伝わりやすい文を書くほうに
もうちょっとウェイトをおいてこーと思います
しっかり出来るようになるまでしばしお待ちください
(かけたのか?「ウェイト」と「待つ」をかけたのか?

きっと、次回から私のレビューは格段に良くなります。
そんなラッキーな作品はというと
日本の近代文学のほぼ一発目。二葉亭四迷の『浮雲』。
これはもっと早めに読んでおくべきだったな、と
すごく痛感しています。
数ある日本の小説のまさに礎なのです。
posted by 管理人 at 23:55| 沖縄 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書しりとり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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